大さん橋 [その他]
大さん橋(大桟橋)は横浜港にある国際客船ターミナルの通称です。古くは鉄桟橋と呼ばれる鉄製の桟橋でしたが、関東大震災で崩壊して以来改修が重ねられて現在に至ります。2002年に完成した現在の大さん橋は鉄筋コンクリート造ですが、表面はウッドデッキと芝生で覆われており、全くコンクリートであることを感じさせません。ウッドデッキの造形が極めて複雑でオリジナリティに富んでいます。この建築デザインは国際コンペによって660作品ものエントリーの中から選ばれました。設計デザイナーはイギリス在住の2人の建築家、スペイン生まれのアレハンドロ・ザエラ・ポロ氏(Mr. Alejandro Zaera-Polo)とイラン生まれのファッシド・ムサヴィ女史(Ms. Farshid Moussavi)のコンビです。ウッドデッキに使われている木材は南米産のイベ材という材料です。イベ材はバオロペとも呼ばれる広葉樹で、非常に木目が詰まっており、耐久性と形状安定性に優れているのが特徴です。建物全体の形が鯨に似ていることから、ウッドデッキの上を「くじらのせなか」、建物内部を「くじらのおなか」と呼びます。くじらのせなかに立って辺りを見渡すと、潮風に乗って歴史の香りが漂ってきました。
みんな仲良し(2) [その他]
前回に引き続き、うちのワンコが散歩中に出会ったお友達たちを紹介します。気が合うお友達の傾向を観察していると、うちの娘はどうやらワイルドに遊んでくれる年下の男の子が好みのようです。
みんな仲良し [その他]
うちのワンコが散歩中に出会ったお友達たちを紹介します。犬にも相性と言うものがあって、一目見ただけで気が合う子同士は意気投合するし、気が合わなければ全然興味を示しません。どんな基準で判断しているのか聞いてみたいものです。
飯給(いたぶ)駅 [その他]
飯給(いたぶ)駅は房総半島の真ん中付近に位置する小湊鉄道の駅です。小湊鉄道は大正14年に営業を開始し、現在は五井駅から上総中野駅までの39.1kmで運行しています。飯給駅を含む小湊鉄道の多くの駅は里山の雰囲気を色濃く残す地域にあり、鉄道ファンや写真家の間で根強い人気があります。飯給という珍しい地名には次のようないわれがあるそうです。壬申(じんしん)の乱(672年)で東へ逃れてきた大友皇子(おおとものおうじ=弘文天皇)がこの地で村人から食事をもらったそうです。それがもとで、飯を給う(いいをたまう)を意味する「いたぶ」と呼ばれるようになったとか。4月には駅周辺に桜と菜の花が同時に咲き、格好の撮影スポットになるそうです。駅前にはなぜか面積が200平方メートルもある世界一大きなトイレというのがありました。黒い塀で囲われたオープンスペースの真ん中で開放感を感じながら用を足すという趣向のようです。しかし残念なことに女子専用なので体験はできませんでした。
世界一大きなトイレはなぜか女子専用
仕方ないのでこちらを使用
古いトイレは物置になっていた
タンポポの由来 [その他]
春になると一斉に黄色い花を咲かせ、まん丸な綿毛を付けるタンポポ。英語名のdandelionは葉の形から、フランス語のdent-de-lion(ライオンの歯)に由来していることは有名ですが、日本語の「タンポポ」の由来は定かではありません。調べてみると実に様々な説があって面白いです。ご参考までにいくつかを紹介します。
【擬音説】 古くからタンポポの茎の両端を裂いて鼓のように反らせる遊びがあり、鼓草とも呼ばれていたことから、鼓の音を真似た「タン」「ポポ」を当てたとする説
【田菜穂々説】 タンポポのことを田菜(タナ)と呼んだことと、穂のような綿毛を付けることから「田菜穂々」がタンポポとなった説
【たんぽ穂説】 綿毛の玉が、たんぽ(綿などを丸めて皮や布で包んだもの。練習用の槍の先につけたり、拓本をとるときに墨を含ませたりするのに用いる。)に似ているところから「たんぽ穂」となった説
などがあります。私は最後のたんぽ穂説が一番説得力があると思うのですが、真相はいかに。
諏訪大社(下社) [その他]
諏訪湖の北側に位置する諏訪大社の下社は、互いに1kmほど離れた春宮と秋宮の2つのお宮から成ります。諏訪大社は「諏訪造り」と呼ばれる様式で建てられています。諏訪造りとは、本殿を持たず、二重楼門造りの幣拝殿および左右片拝殿が連続的に並ぶ様式だそうです。春宮も秋宮も建物の配置はほぼ同じで、太いしめ縄が掛けられた神楽殿の奥に幣拝殿と左右片拝殿が配されています。しめ縄は6年に一度(寅年と申年に)行われる御柱祭の年に掛け替えられるそうです。
【春宮】
【秋宮】
諏訪大社(上社) [その他]
全国に諏訪の名が付く神社は2万5千社もあるそうです。私が育った街にも諏訪神社がありました。それらの本社となるのが長野県にある諏訪大社です。諏訪大社は諏訪湖の南側に位置する上社と、北側に位置する下社からなります。さらに上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮にそれぞれ分かれていて、合計4つのお宮から諏訪大社が構成されています。江戸時代までは、上社の大祝(おおほうり:社の頂点に位置する神職)は諏訪氏が、下社の大祝は金刺氏が勤めてきたという歴史があるそうです。下の写真は上社の本宮と前宮です。本宮の荘厳さとは対照的に、およそ1kmほど離れた鎮守の森にひっそりと佇む前宮には何とも言えない趣が感じられました。前宮は諏訪明神信仰の原点と言われていますが、今はお宮があるのみでご神体は祭られていないそうです。そのためか、訪れる人はほとんどいませんでした。
【本宮】
【前宮】
赤色 [その他]
赤という色を定義するとすれば、波長700nm前後の光が呈する色調とでも言えば良いのでしょうか。言わずもがな、林檎や血液や日章旗の中心部分の色ですね。しかし日本人が赤と認識している色はとても幅広く、ピンクに見える桃の色も、橙色に近い夕焼けの色も、茶色っぽい小豆(あずき)の色も「赤い」と言います。赤色を示す漢字も朱、紅、丹、緋などたくさんありますね。
同様に赤の語が意味する事柄も幅広く、色々と探してみると面白いですね。例えば政治で赤と言えば社会主義や共産主義を指します。それらの団体や国家が旗などに好んで使用する色だからです。「赤の他人」や「真っ赤な嘘」などに用いられる「赤」は名詞を強調する語句で、「全くの」、「明らかな」のような意味になります。新生児を赤子や赤ちゃんと呼ぶのは血管が透けて顔や身体が赤味を帯びて見えるからですよね。フランスの作家スタンダールが書いた小説「赤と黒」の赤は、軍人の服の色(赤)に由来しているようです(黒は聖職者の法衣の色から)。赤字といえば収入よりも支出の方が多いことを意味しますが、これは帳簿に損失を赤い字で書いたからでしょう。英語でも赤は損失を意味するようで、赤字になることをgo into the redなどと言います。この点では赤の語感は洋の東西を問わないようですね。
立春 [その他]
一年を24等分した二十四節気の最初の節気が立春です。そして立春の前日が季節を分ける日、つまり節分です。暦の上ではもう春なのですね。ところで季節を分ける日が節分なので、本来は立夏、立秋、立冬の前日も節分と呼ばれます。しかしいつの頃からか、節分と言うと春を指すことが多くなりました。春とは言えないような大寒波襲来。雪国の方々のご苦労をお察しいたします。寒い日が続いていますが、体調など崩さぬようご注意下さい。
さようなら、だいすけ君 [その他]
テレビ東京の人気番組「だいすけ君が行く!ポチたま新ペットの旅」で活躍していたラブラドール・レトリーバーの「だいすけ君」が残念ながら天国に旅立ってしまいました。急に胃捻転を起こして緊急手術をしたそうですが、その甲斐もなく、11月29日にお星様になってしまったそうです。我が家も家族でいつも番組を見ていたので、その訃報はとても悲しいものでした。やんちゃで食いしん坊だっただいすけ君。オーナーの松本秀樹さんと日本中を旅しながら笑いと癒しを私たちに与えてくれました。今頃はお父さんのまさお君のところに行って一緒に駆け回っていることでしょう。
12月18日にテレビ東京の本社ロビーでだいすけ君への献花式が行われました。同じレトリーバーオーナーとしては、松本秀樹さんのお気持ちを思うと他人事ではいられません。いつもテレビの前で興奮しながら「ポチたま」を一緒に見ていたうちのゴールデンを連れて、テレビ東京までだいすけ君にお別れを言いに行ってきました。この日、だいすけ君にお別れを告げたファンは6000人に上ったということです。ロビーからは2時間待ちの長い行列ができていました。うちのゴールデンもおとなしく行列に並び、つきあってくれました。同じように犬連れで来られている方もたくさんいらっしゃいましたが、どのワンちゃんもみんなお行儀良く参列していました。
献花台にはだいちゃんの写真と遺骨が置かれていました。元気いっぱいだったのに突然のお別れなんて、松本さんはどれほど辛かったことでしょう。この日はお天気は良かったのですが、ビルの谷間は日陰で底冷えのする一日でした。それにもかかわらず、松本さんは17時までずっと外に立ち、参列者一人一人と握手をされていました。本当は誰よりも辛く悲しいでしょうに。
だいすけ君のご冥福を心よりお祈りいたします。
献花台にはトレードマークのバンダナと遺影が。
たくさんの思い出の品々。
参列者からの寄せ書き。
寄せ書きとウチの子。
底冷えのする街頭で参列者一人一人と握手をし、言葉を交わす松本秀樹さん。
だいすけ君、楽しい時間をありがとう。まさお君と一緒に天国で楽しく過ごしてね。
善光寺 [その他]
長野県長野市にある善光寺は無宗派のお寺です(運営上は天台宗と浄土宗から選ばれた代表が共同住職を務める)。日本において仏教が現在の宗派に分かれる前からの寺院であるため、宗派に関わりなく広く門戸が開かれているということです。ご本尊は552年に百済から献呈された日本最古の仏像、一光三尊阿弥陀如来で、642年に現在の地に祀られました。654年からは絶対秘仏とされ、住職でさえその姿を見ることはできません。
1707年に再建された本堂は1953年に国宝に指定されています。奈良にある東大寺金堂、京都にある本願寺御影堂などと並び、大きな木造建築物として有名です。国宝では3番目に大きい木造建築物だそうです。さすがにその大きさと佇まいは荘厳で、その前に立つと厳かな気持ちになります。境内の墓所には古い墓石が並び、1400年の歴史を感じます。
自動車とデザイン [その他]
先日、自動車雑誌LE VOLANT主催のCARS MEET 2011というイベントがありました。国内外の自動車が数多く展示されていた他、ステージイベントとして、テレビ神奈川の自動車番組「クルマでいこう!」でおなじみの岡崎五朗さんと藤島知子さんや、元F1ドライバの片山右京さんのトークショーなどが行われました。展示車両で目を引いたのがAston MartinのVirage、PeugeotのRCZ、AudiのR8、トヨタのLFAなどですが、個人的には圧倒的に海外の車の方が魅力的に見えました。その理由はデザインにあると思います。これはかなり主観が入っていて一般論ではないのかも知れませんが、例えばトヨタの野心作、LEXUS・LFAは確かに格好良いのですが、いつまでも眺めていたい美しさとは違うのです。
私は、Jaguarのデザイン・ダイレクタを務めるIan Callum氏がデザインした車が大好きです。Callumさんはいつまでも眺めていたくなる車をたくさん世に送り出してくれました。面白いことに、街を走る姿を見て「美しい」と感じた車のデザイナーを調べてみると大抵Ian Callumさんなのです。Aston MartinのDB7をデザインして同社の復活の礎を築いた他、Fordに移ってからは最近のVolvoデザインの源流を生み出して好調なセールスに貢献したり、Ford製Jaguarの美しい車の数々を作り出して来ました。JaguarがインドのTataに身売りされた後も引き続きJaguarデザインの責任者をされているようです。従って、現行のJaguar XJなどを見ても惚れ惚れとする流麗さです。
日本では若者の車離れが進んでいるようです。自動車を取り巻く環境の急激な変化や長引く経済不況などが主要因だとは思いますが、こぞって画一的な箱型のファミリーカーばかりに力を入れて来た日本の自動車メーカーにも原因があるような気がします。
Peugeot RCZ
Aston Martin Virage
Audi R8のセラミックブレーキ
トヨタの野心作LEXUS・LFAは、もはやスーパーカーだ
藤トモちゃんのトーク
藤トモちゃんも五朗さんもとても気さくな方で、このあと記念撮影にも快く応じてくれました
戸隠神社(中社) [その他]
今回は戸隠神社の中社を紹介します。中社は奥社入り口から2km程下った集落にあります。10年程前にオートバイのツーリングで集落に泊まったことがあったのですが、じっくりと参拝するのは今回が初めてでした。中社には知恵の神とも言われる天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)が祀られています。前の記事でも述べた日本神話にある「天岩戸開きの神事」で、岩戸神楽(太々神楽:だいだいかぐら)を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神様です。学業成就・商売繁盛などに御神徳があるということです。大鳥居前の境内には樹齢800年を超える三本杉があります。そこから急な石段を登ると社殿が見えてきます。社殿の右手には滝があり、清らかな水が流れ落ちています。樹齢700年のご神木も見事でした。
戸隠神社(奥社) [その他]
戸隠神社は長野市の北西部にある戸隠山の麓に点在する奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社からなる神社です。創建二千余年とされ、とても長い歴史を持っています。日本神話では、天照大神(あまてらすおおみかみ)が彼女の弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたために、この世に暗黒と悪神がはびこったとされています。天照大神を天岩戸から出そうと岩戸をこじ開けたのが大力の神、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山になったと言われています。このことから、地主神を祀った九頭龍社を除く四社には上記の「天岩戸開き神事」に功績のあった神々が祀られています。天岩戸の所在地として有名なのが宮崎県の高千穂町にある天岩戸神社ですから、そこから天岩戸を長野県まで投げ飛ばした天手力雄命はいかに怪力だったことでしょう。
さて、戸隠神社の歴史に戻ります。古来、日本の宗教は神仏習合ですから、かつては戸隠神社にも真言宗や天台宗のお寺があり、戸隠山顕光寺と呼ばれていました。また、戸隠山は有名な修験道の霊場であり、平安時代後期以降は比叡山、高野山と共に三千坊三山と称され、多くの修験者を集めていました。その後、徳川家康の手厚い保護を受け、東叡山寛永寺の末寺となって、農業、水の神としての性格が強まってきました。明治に入ると、政府によって神仏分離令が出されたために、お寺は切り離されて戸隠神社と改名されました。その影響を受け、宗僧たちは還俗して神官となり、奉られていた仏像は近隣の村の寺院に移されたと言うことです。
今回は戸隠神社の奥社を写真で紹介します。奥社には怪力の天手力雄命が祀られています。参道の入り口から一直線に約2kmの山道を登って行かなければ奥社には辿り着けません。参道には馬も車も入れません。神様に近づくには禊(みそぎ)が必要であると言うことを表しているように思えます。途中にある随神門をくぐった後に広がる杉並木は実に見事で、思わず息を呑むようでした。これらの杉は17世紀に植えられたとされる樹齢400年の大木で、天然記念物に指定されています。
往復4kmの道のりに備えて、参道入り口のお蕎麦屋さんでまずは腹ごしらえ
清流のせせらぎを聞きながら食べる戸隠蕎麦は格別です
いよいよここからスタート
両側に小川が流れる真っ直ぐな参道を登ってゆきます
随神門はまだまだ序の口
随神門はとても雰囲気のある山門です
随神門をくぐった後の杉並木は圧巻です
夫婦杉がありました
子供も頑張って登っています
人と比較すると、いかに巨木かがわかりますね
シシウドの花
ツリガネニンジン
奥社に到着
奥社から来た道を見下ろすと涼しい風が吹き、暑さも疲れも吹き飛びました
散歩路 [その他]
散歩の途中で写真撮影に夢中になっていると、「早く行こうよ」とクンクン甘えた声を出す。わかったよ、でもあと一枚撮らせてよ。いつも電柱のお手紙読むのに付き合わされているんだから、それくらい良いだろう?
犬吠埼燈台 [その他]
犬吠埼燈台は英国から招かれた技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの指揮の下に建設され、1874年に完成しました。千葉県内で製造された国産レンガを用いて建てられたこの灯台は、130年以上経った今も建設当時の構造をそのまま保っているということです。1998年、フランスに本部を置く国際航路標識協会(IALA)が世界各国の歴史的に重要な灯台という観点から「世界灯台100選」を選びました。犬吠埼燈台はそのうちの一つになっています。
犬が吠える岬と書いて犬吠埼ですが、この地名には次のような由来があるそうです。異母の兄、頼朝に追われた源義経が奥州平泉に逃れる途中に銚子に立ち寄ったのですが、旅を続けるに当たり愛犬「若丸」をこの地に残して行かなければなりませんでした。主人を失った若丸はこの岬で七日七晩吠え続けたそうです。そのことからこの岬を犬吠埼と呼ぶようになったとか。何とも悲しいお話ですね。
灯台から海岸に下りると、ゴツゴツと荒々しい岩が見られます。この辺りの岩石は中世代白亜紀層に属する1億年以上前の古い地層だと言うことです。うちの犬はこの犬吠埼で吠えはしませんでしたが、ひたすら岩の間に鼻を突っ込んで1億年の匂いを嗅ぎ回っていました。
1周年記念―My Favorite Articles― [その他]
2010年5月5日に当ブログを始めてからちょうど1年が経ちました。ここまで続けて来られたのは、訪れて下さる皆様のおかげと心から感謝しております。皆様からのnice!やコメントは写真を撮ることに対する大きなモチベーションとなっており、本当にブログを始めて良かったなと思います。拙いブログではありますが、引き続きお付き合いいただけたら幸いです。
誠に勝手ながら今回も1周年を記念して、過去に掲載した142の記事の中から閲覧数の多かったベスト10と、自分自身のお気に入り記事を3つの切り口から選んでみました。
閲覧数が多かった記事
第1位 九十九里を行く第2位 SAL135F28 135mm F2.8
第3位 自由が丘散策
第4位 SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM
第5位 Deepavali(光の祭典)
第6位 震災に想う
第7位 ペラナカン文化
第8位 秋の夜歩き
第9位 虹と内暈
第10位 Thaipusam(タイプーサム)
こうして見ると、写真機材に関連する記事(第2位、第4位、第8位)と、異国文化を取り扱った記事(第5位、第7位、第10位)への関心が意外に高いことがわかりました。
次に自分なりに下記の3つの切り口でお気に入りを選んでみました。1つ目は「写真レンズのインプレッション記事」です。閲覧数でも上位に来ていましたが、それは私を含め写真を趣味とする方々が新しいレンズを購入するときに、実際に使っている人の意見が最も参考になる情報だと考えている証ではないかと思います。あまり持ち玉は多くないのですが、今後もできるだけ手持ち機材のインプレッション記事を書いて行きたいと思います。2つ目は「サイエンス&インダストリ解説記事」です。身近に起こる現象の理由を考えてみたり、一見正しそうだけど本当なの?と疑ってみることは楽しくもあり、重要なことではないかと思います。できる限り正確でわかりやすい記事にするため、調査、確認、推敲には何日間も要します。それだけに思い入れの深い記事でもあります。3つ目は逆に「解説が短い記事」です。一目瞭然、写真が全てを表しているような記事です。そのような明快な写真をたくさん撮りたいのですが、感覚が鈍いためか、1年に数えるほどしか気に入ったものは撮れません。それでは、よろしかったらMy Favorite Articlesをご覧下さい。
写真レンズのインプレッション記事
SAL35F14G
SAL135F28
SAL50M28
SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM
サイエンス&インダストリ解説記事
虹と内暈ビンとエコロジー
飛行機はエコか?
紅葉のメカニズム
広角レンズに関する考察
解説が短い記事
1周年記念―My Favorite Photographs― [その他]
2010年5月5日に当ブログを始めてから1年が経とうとしています。ここまで続けて来られたのは、訪れて下さる皆様のおかげと心から感謝しております。皆様からのnice!やコメントは写真を撮ることに対する大きなモチベーションとなっており、本当にブログを始めて良かったなと思います。拙いブログではありますが、引き続きお付き合いいただけたら幸いです。
誠に勝手ながら今回は1周年を記念して、過去に掲載した約700枚の写真の中からお気に入りの物を選んでみました。「写真は光と影のアート」をモットーに、被写体と向き合いながら一枚一枚切り取ってきた写真たちの一部です。基本的にシャッターを切るまでが勝負と考えているので、掲載している写真の全てはトリミングや明るさ調整などの後処理をしていません。ほぼ古い順に並べてみました。こうして並べてみると、全く写真が上達していないどころか、逆に下手になっているように思えるのが個人的には気になるところです。一方、どの写真に関しても、撮った場所やその時の気持ちを鮮明に思い出すことができます。写真を撮ることは、自分の心の中に思い出を定着させて行く行為なんだと改めて感じました。
それでは、よろしかったらMy Favorite Potographsをご覧下さい。
光と影・HDRと脳 [その他]
写真は光と影のアート。私は常々そう思っています。
人間の視覚のダイナミックレンジ(黒つぶれする明るさと白飛びする明るさの比)が100 dB(10万倍)以上あるのに対して、写真フィルムやデジタルカメラの撮像素子のそれは60 dB(1千倍)程度しかありません。このため、写真を撮るときに明るいところに適正露出を合わせると、暗いところは見た目以上に真っ黒につぶれてしまうことは良く経験されることと思います。しかしこれをうまく利用すると、見せたい部分だけを記録して、見せたくない部分を隠してしまうことができます。出来上がった写真は肉眼で見た印象とは全く変わってしまうかも知れませんが、撮り手の意図や心象をドラマティックに表現する強力な手段となります。写真が光と影のアートを創り出すのに適した媒体である一つの理由は、このダイナミックレンジの狭さにあると考えています。
一方、最近は現像ソフトやカメラ本体で手軽にHDR(High Dynamic Range)合成ができるようになりました。HDR合成とは数段階の露出で撮影した複数の写真を合成して、暗いところから明るいところまで黒つぶれや白飛びのない一枚の写真を作り出すことを言います。すなわち、明るさの階調が残っている「良い所取り」をして、元々広いダイナミックレンジを持つ景色を狭いダイナミックレンジしか持たない写真媒体に無理やり押し込める手法です。これも前述の方法とは対極にある写真表現の一つであると言えるでしょう。
ところで、人の視覚は意外にもこのHDRと同じ仕組みでダイナミックレンジを稼いでいるのをご存知でしょうか。10万倍もの明暗差がある景色を一度に見ているのではなく、実は時間や空間をずらして明るい所と暗い所を別々に認識し、脳の中で一枚の映像に合成していると考えられるのです。すると、HDR合成写真の方が、より人が見ている映像に近いとも言えますね。しかし、HDR合成写真を見ると、何だかのっぺりした不自然な写真に見えるのですから、人間の脳って面白いですね。これはおそらく、脳でHDR処理をする必要がなくなったことを逆に不自然と感じるのでしょう。
鹿島神宮 [その他]
震災が起こる2週間前に茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮を訪れました。鹿島神宮には要石(かなめいし)と呼ばれる霊石があります(4枚目の写真の中央下部。賽銭が投げられている辺り)。実はその石は地震を鎮める石だと言われています。地上に20cmくらい露出していますが、本体は地中深くまで達する巨石で、地震を起こす大なまずの頭を押さえていると考えられているのです。利根川をはさんだ対岸にある香取神宮(以前の記事を参照)にも同様の要石が存在し、そちらは同じ大なまずの尾を押さえていると言われています。このことからもわかるように、茨城県、千葉県一帯は昔から地震の多い地域だったのです。今回の震災で鹿島神宮は大きな被害を受け、残念ながら下の写真にある大鳥居が崩落してしまいました。参拝されていた方がたくさんいらっしゃったであろう日中に大鳥居が崩れたにも関わらず、けが人が出なかったのは要石のご利益だったと考えるべきかも知れませんね。
最後の写真は大豊竹と呼ばれるもので、一年かけて大切に育てられ、奉納された青竹です。毎年3月9日に催される五穀豊穣を願う行事(祭頭祭)で細かく砕かれて「ささら」にされるのだそうです。ささらが稲穂に見えることがその由来のようです。