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中城城址(なかぐすくじょうあと) [35mmF1.4G]

 先日沖縄を訪れる機会があり、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されている中城城跡(なかぐすくじょうあと)を見学して来ました。世界遺産に登録されているグスク(城)は今帰仁(なきじん)城、座喜味(ざきみ)城、勝連(かつれん)城、首里(しゅり)城、そしてこの中城(なかぐすく)城の5件になります。これらの中でも中城は最も遺構が良く残っていると言われています。中城城は14世紀頃にこの地域の領主だった豪族が数代にわたって築き上げた城ですが、1440年頃に王府の命により座喜味城主の護佐丸と言う人物がここに移り住み、1458年に謀りごとに遭って自刃するまでは城主を務めていたようです。中城は当時盛んに貿易が行われていた屋宜港からほど近い標高約160メートルの丘陵地に建っており、周りは断崖や急斜面に囲まれ、守りやすく攻めにくい城でした。東には太平洋、西には東シナ海と、沖縄本島の両サイドの海を見渡せます。城は石灰岩の石垣に囲まれた6つの廓から成っており、その石垣は自然の岩石や地形に合わせて美しい曲線で構成されています。石積みの方法は3種類使われており、築城技術の進化を垣間見られます。最もプリミティブな石積みは「野面積み」で、自然石を加工せずにそのまま積み上げる方法です。表面に凹凸ができるため、敵に登られやすいという欠点がありました。野面積みの欠点を改良したのが「布積み」で、方形に整形した石を積み上げて表面を平滑にした石垣です。ただし目地が揃ってしまうため、強度的には不利になります。更に改良された石積み法が「相方積み(亀甲積み)」です。多角形に整形した石を亀の甲羅のように組み合わせて積んで行く方法で、応力が均等に分散するために崩れにくくなります。本土では16世紀の戦国時代に野面積みが、18世紀の江戸後期に亀甲積みが見られるようになったということなので、14~15世紀に既にそれらの技術が確立していた琉球の石積み技術はいかに進歩していたかということがうかがえます。

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2種類の石積みが見られる(布積み・相方積み)

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東側からは太平洋が見渡せる

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ここでも2種類の石積みが見られる(布積み・野面積み)

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二の廓(布積み)

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曲線が美しい

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三の廓(相方積み)

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コメント 2

imarin

きっちりと積まれた石でできた石垣見応えありますね。
それだけの石はどこから持ってくるのか、
石積みの棟梁のような方がいて、上手く組み合わせるのかとか、
当時に遡って作業を見てみたいです。
沖縄本島には行ったこと無いので行ってみたいです。
by imarin (2023-06-27 10:57) 

ZZA700

imarinさん
電動工具もなかった時代にどうやって無数の石を整形して積み上げたのか見てみたいですよね。腕の立つ職人さんがたくさんいて分担して築いたのでしょうね。
by ZZA700 (2023-06-28 09:45) 

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