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五島・長崎 教会巡り(9)長崎市・外海地区 [五島・長崎 教会巡り]

 外海(そとめ)地区の歴史を語るにはド・ロ神父のことを避けて通ることはできません。ナポレオンの血を引くフランス貴族の家系に生まれたマルク・マリー・ド・ロは1868年に宣教師として長崎に赴任しました。長崎や横浜で宣教活動を行った後、1878年に長崎市の北西部にある五島灘に面した外海地区の司祭となりました。外海地区は遠藤周作の小説『沈黙』にも描かれたように、潜伏キリシタンが激しい弾圧を受けた土地でした。当時この地域の生活は貧しく捨て子も多かったことから、ド・ロ神父はまず孤児院を開設しました。続いて女性の技能向上と労働の機会を創出することを目的に出津救助院を創設しました。救助院ではド・ロ神父の技術指導の下にマカロニ、パン、醤油、織物などの製造が行われ、地域に産業を作り出しました。さらには赤痢などの伝染病から住民を守るために診療所を開設しました。これらの事業は神父自身が受け継いだ遺産からなる私財を投入して行われました。このようにド・ロ神父は宣教師の枠にとどまらず、地域の振興や社会福祉に多大な貢献を果たしました。建築家としても活躍したド・ロ神父は1914年(大正3年)に大浦天主堂の司教館を建設中に足場から転落し74年の生涯を閉じました。亡骸は神父自身が手掛けた出津教会から見える丘の斜面にある共同墓地に埋葬されました。



【出津教会】

 1878年に外海地区の出津(しつ)に赴任してきたド・ロ神父の設計により、1882年(明治15年)に建設されました。五島灘からの強風に耐えるため、レンガ造り瓦葺きの平屋建てとなっており、屋根は低く設計され、外壁は漆喰で塗られています。漆喰の壁は純白に輝き、清楚な外観を与えています。建物の両端には大小の鐘楼を備え、大鐘楼上には聖母マリア像、小鐘楼上には十字架が建てられています。内部は三廊式構造で、天井は平天井です。室内は漆喰と木材の自然な色合いから素朴で暖かい印象を受けます。

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【大野教会堂】

 出津教会を完成させた後の1893年(明治26年)にド・ロ神父は巡回教会として大野教会堂を建設しました。出津教会と同様に、建設費用はド・ロ神父の私財が投入され、労働力は26戸の信者から提供されました。一見民家にも見える木造瓦葺き屋根の質素な教会ですが、外壁には「ド・ロ壁」と呼ばれる、地元で切り出した玄武岩の小片を漆喰で固めた独特な工法が用いられています。建物の入り口にはド・ロ壁でできた風除室があり、五島灘からの強風を避けるように設計されています。内部は会堂部と司祭室に分かれており、会堂部は柱のない平天井の空間となっています。現在は床が抜け落ちる可能性があるために室内に入ることはできません。また、見学の際にはあらかじめ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」(095-823-7650)に連絡して係員の方に立ち会っていただく必要があります。

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建物の入り口の前にはド・ロ壁で作った風除室がある


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風除室の内部


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大野教会堂が建つ丘陵からは五島灘に浮かぶ炭鉱で栄えた池島が見える



【黒崎教会】

 黒崎教会もド・ロ神父の指導の下に建設が計画され、23年の歳月をかけて1920年(大正9年)に完成しました。レンガ造りでロマネスク様式のこの建物は、建設途中で資金難に陥り工事が中断されたこともあったそうですが、子供も含む信徒たちがレンガを一つずつ積み上げて完成に至りました。全長40メートルにも及ぶ長大な建物の内部は三廊式のリブ・ヴォールト天井となっており、ステンドグラスが美しく厳かな雰囲気を醸しています。施工は大浦天主堂の建設にも関わった川原粂吉の息子である川原忠蔵とされています。

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【出津救助院・野道共同墓地】

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ド・ロ神父が設立した出津救助院跡。ここにもド・ロ壁が用いられている。


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出津教会から見える野道共同墓地。ここにド・ロ神父が眠っている。


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共同墓地に建つド・ロ神父の墓碑

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コメント 4

U3

こんばんは。
異国の地で不慮の死を遂げても神父は満足だったのではないでしょうか。
映画か小説になりそうな気が致します。
by U3 (2020-07-09 18:11) 

ZZA700

U3さん
現地でド・ロ神父の産業振興や社会福祉や教育への貢献を知って非常に感動しました。本来ならば政治家が行うべき活動を私財をなげうって果たされたようです。
これらの偉業は確かに映画や小説の題材となるに相応しいですね。江戸時代の外海地区の話ならば「沈黙・SILENCE」として1971年に日本で、2016年にハリウッドで映画化されているんですけどね。明治・大正のド・ロ神父の活躍も映画化して欲しいですね。
by ZZA700 (2020-07-11 02:00) 

響

外海地区の教会群はかなり厳しい弾圧のあった場所なので
見る時も重さを感じますね。
わたしも教会建築家の鉄川与助氏のファンになるきっかけは
ドロ神父でした。
by (2020-07-18 17:12) 

ZZA700

響さん
私も米国映画の「沈黙・SILENCE」を見てから現地に行ったので、重さをひしひしと感じました。
ド・ロ神父の偉業には感動を覚えますよね。
by ZZA700 (2020-07-18 18:37) 

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