SSブログ

ワイパーブレード交換 [BMW 325i Touring]

 先日、雨の中を運転した際に、ワイパーの拭き残りとビビリ音がひどくなっていることに気づきました。もう何年もワイパーブレードを交換していなかったので、ここら辺で交換しておくことにしました。サードパーティーからも色々な商品が出ていますが、後述するプラスチックカバーが取り付けられなくなる物があることや、純正品が長もちする印象があること、価格差が許容範囲であることなどから、AmazonでBMWの純正部品「E90/E91前期モデル用フラットワイパーブレードセット」を¥7,175で購入しました。旧品番は61610427668でしたが、いつの間にか新しい品番61612455439に切り替わっていました。新旧の実物を見比べましたが、特に差異は見つけられませんでした。

DSC09588.JPG

DSC09589 (1).JPG
助手席側(写真上)、運転席側(写真下)の2本セット

DSC09592 (1).JPG
ブレードのエッジがピンと立っていて良く拭き取れそう

DSC09612 (1).JPG
こちらは古いブレード。エッジがカールして硬化していた。


 ゴムの部分を抜き差しするのではなく、ワイパーブレードAss'yを丸ごと交換するので、作業はとても簡単です。まず、ワイパーアームを立てて、ブレードAss'yの取付部にあるプラスチックカバーを外します。2か所の爪で固定されていますので、先端側の爪(下の写真の白丸部分)を指で先端方向に広げるようにして外します。

DSC09594 (1).JPG
運転席側のブレードを助手席側から見た図。白丸部分の爪を指で上方に押し広げながら黄丸部分の爪を支点にしてカバーを外す。

DSC09609 (1).JPG
外したカバーの裏側。ワイパーアームには2か所の爪で固定されている。白丸の爪を外側に押し広げながら外す。

DSC09600.JPG
カバーの下は埃だらけ。この機会に掃除しておく。

プラスチックカバーを外したら、ワイパーブレードをクルっと上向きに回転させて上方に引き上げるとピンから抜けます。これで取り外し完了です。ピンを見たら錆が出ていましたので、軽く錆取りして、グリスを薄く塗っておきました。

DSC09601.JPG
ブレードを上向きに回転させてピンから引き抜く

DSC09603.JPG
ピンに錆が出ていたので錆取りして薄くグリスを塗ってから新しいブレードを取り付けた

新しいブレードをピンに差し込んで、クルっと回転させて元に戻します。プラスチックカバーを取り付けたら交換作業は完了です。掃除やグリスアップを含めても10分くらいで終わります。ブレードのエッジがピンと立っていて、如何にも良く拭き取れそうなので、雨の日のドライブが楽しみです。

nice!(34)  コメント(6) 

雨が上がったら [70-300mm F4.5-5.6 G SSM]

降り続いた雨が上がったら、再び降り出す前にワンコを外に連れ出します。雨が多い今年の梅雨は散歩の機会が減りがちで、退屈しているワンコは執拗に室内遊びを催促してきます。ガス抜きのために外で思い切り遊んでもらいましょう。海岸に行くと他のワンちゃんやお子さんにも遊んでいただいて、とても嬉しそうに走り回っていました。

DSC09484.JPG

DSC09499 (1).JPG

DSC09540 (1).JPG

DSC09493 (1).JPG

DSC09462 (1).JPG

DSC09518 (1).JPG

nice!(29)  コメント(6) 

五島・長崎 教会巡り(9)長崎市・外海地区 [五島・長崎 教会巡り]

 外海(そとめ)地区の歴史を語るにはド・ロ神父のことを避けて通ることはできません。ナポレオンの血を引くフランス貴族の家系に生まれたマルク・マリー・ド・ロは1868年に宣教師として長崎に赴任しました。長崎や横浜で宣教活動を行った後、1878年に長崎市の北西部にある五島灘に面した外海地区の司祭となりました。外海地区は遠藤周作の小説『沈黙』にも描かれたように、潜伏キリシタンが激しい弾圧を受けた土地でした。当時この地域の生活は貧しく捨て子も多かったことから、ド・ロ神父はまず孤児院を開設しました。続いて女性の技能向上と労働の機会を創出することを目的に出津救助院を創設しました。救助院ではド・ロ神父の技術指導の下にマカロニ、パン、醤油、織物などの製造が行われ、地域に産業を作り出しました。さらには赤痢などの伝染病から住民を守るために診療所を開設しました。これらの事業は神父自身が受け継いだ遺産からなる私財を投入して行われました。このようにド・ロ神父は宣教師の枠にとどまらず、地域の振興や社会福祉に多大な貢献を果たしました。建築家としても活躍したド・ロ神父は1914年(大正3年)に大浦天主堂の司教館を建設中に足場から転落し74年の生涯を閉じました。亡骸は神父自身が手掛けた出津教会から見える丘の斜面にある共同墓地に埋葬されました。



【出津教会】

 1878年に外海地区の出津(しつ)に赴任してきたド・ロ神父の設計により、1882年(明治15年)に建設されました。五島灘からの強風に耐えるため、レンガ造り瓦葺きの平屋建てとなっており、屋根は低く設計され、外壁は漆喰で塗られています。漆喰の壁は純白に輝き、清楚な外観を与えています。建物の両端には大小の鐘楼を備え、大鐘楼上には聖母マリア像、小鐘楼上には十字架が建てられています。内部は三廊式構造で、天井は平天井です。室内は漆喰と木材の自然な色合いから素朴で暖かい印象を受けます。

DSC05331.JPG

DSC05340.JPG

DSC05345.JPG



【大野教会堂】

 出津教会を完成させた後の1893年(明治26年)にド・ロ神父は巡回教会として大野教会堂を建設しました。出津教会と同様に、建設費用はド・ロ神父の私財が投入され、労働力は26戸の信者から提供されました。一見民家にも見える木造瓦葺き屋根の質素な教会ですが、外壁には「ド・ロ壁」と呼ばれる、地元で切り出した玄武岩の小片を漆喰で固めた独特な工法が用いられています。建物の入り口にはド・ロ壁でできた風除室があり、五島灘からの強風を避けるように設計されています。内部は会堂部と司祭室に分かれており、会堂部は柱のない平天井の空間となっています。現在は床が抜け落ちる可能性があるために室内に入ることはできません。また、見学の際にはあらかじめ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」(095-823-7650)に連絡して係員の方に立ち会っていただく必要があります。

DSC05362.JPG
建物の入り口の前にはド・ロ壁で作った風除室がある


DSC05369.JPG

DSC05360.JPG

DSC05359.JPG
風除室の内部


DSC05355.JPG

DSC05380.JPG
大野教会堂が建つ丘陵からは五島灘に浮かぶ炭鉱で栄えた池島が見える



【黒崎教会】

 黒崎教会もド・ロ神父の指導の下に建設が計画され、23年の歳月をかけて1920年(大正9年)に完成しました。レンガ造りでロマネスク様式のこの建物は、建設途中で資金難に陥り工事が中断されたこともあったそうですが、子供も含む信徒たちがレンガを一つずつ積み上げて完成に至りました。全長40メートルにも及ぶ長大な建物の内部は三廊式のリブ・ヴォールト天井となっており、ステンドグラスが美しく厳かな雰囲気を醸しています。施工は大浦天主堂の建設にも関わった川原粂吉の息子である川原忠蔵とされています。

DSC05294.JPG

DSC05302.JPG

DSC05307.JPG

DSC05311.JPG

DSC05314.JPG

DSC05317.JPG



【出津救助院・野道共同墓地】

DSC05410.JPG
ド・ロ神父が設立した出津救助院跡。ここにもド・ロ壁が用いられている。


DSC05416.JPG
出津教会から見える野道共同墓地。ここにド・ロ神父が眠っている。


DSC05428.JPG
共同墓地に建つド・ロ神父の墓碑

nice!(34)  コメント(4) 

紫色の花 [70-300mm F4.5-5.6 G SSM]

7月に入り紫陽花は見頃を過ぎた感があります。今年はほとんど撮らないうちにシーズンが終わってしまいそうです。

DSC09461.JPG

DSC09455.JPG

nice!(27)  コメント(4) 

 

 

 

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。