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五島・長崎 教会巡り(2)福江島 Part 1 [五島・長崎 教会巡り]

 福江島は五島列島の中で最も大きな島で、福岡や長崎からの空の玄関口となっています。この島にある14のカトリック教会のうちの9か所を見学して来ました。今回はその中から楠原天主堂、水ノ浦天主堂、貝津教会の3つを紹介したいと思います。

【楠原天主堂】
 1797年に長崎本土の外海地区から移ってきた潜伏キリシタン第一陣がこの楠原地区に住み着きました。その人々は仏教徒を装いながら密かにキリスト教信仰を守り抜きました。1865年、長崎に住むフランス人のために大浦天主堂が建てられたことをきっかけに、各地の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂にやって来て、当時のベルナール・プティジャン神父に自分たちもキリスト教信者であることを打ち明けます。その中には五島の潜伏キリシタンも含まれていました。これに驚き喜んだプティジャン神父は禁教下の日本にキリスト教信者がいることをヨーロッパに伝え、大きなニュースになってしまいました。そのため幕府に潜伏キリシタンの存在が知れることとなり、五島をはじめとする各地の潜伏キリシタンたちへの卑劣な迫害・弾圧が始まりました。これが「五島崩れ」と呼ばれる出来事です。楠原の潜伏キリシタンも牢屋に入れられて拷問を受けるなど、過酷な迫害を受けました。1873年(明治6年)にようやく禁教令が解かれると楠原地区でも教会建設の機運が高まり、1912年(明治45年)に3年の歳月をかけた楠原天主堂が完成しました。レンガ造りのゴシック様式で、設計、施工は鉄川与助が行っています。福江島では堂崎天主堂に次ぐ古い教会で、与助の初期の作品群の一つです。内部は4分割リブ・ヴォールト天井(4本骨のこうもり傘を1列に並べたような蒲鉾型天井)、三廊式床(フロアが中心部の身廊とその両脇の側廊の3つに分かれた内部構造)、尖頭アーチ窓(上部が尖ったアーチ状の窓)となっており、鉄川与助作品の特徴が見られます。

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【水ノ浦天主堂】
 水ノ浦でも五島崩れの影響を受けて潜伏キリシタンに対する残酷な迫害が行われました。30人以上の信徒が投獄され、長い者では5年間も牢に入れられました。禁教が解かれて7年後の1880年(明治13年)にこの地に水ノ浦教会が建てられ、その後、老朽化のため1938年(昭和13年)に現在の天主堂に建て替えられました。設計、施工は鉄川与助で、木造建築としては最大級の教会になります。入り組んだ地形と美しい海を見下ろす白亜の鐘塔は、五島に最も似合う教会だと言えるでしょう。前述の楠原天主堂とは対照的に与助の最後年の作品になりますが、リブ・ヴォールト天井、三廊式床、尖頭アーチ窓を備えたゴシック様式をベースに、より洗練された美しいデザインとなっています。

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【貝津教会】
 貝津でもキリシタンたちへの迫害、弾圧は例外ではありませんでした。禁教が解かれた後もこの地では「隠れ衆」として密かに信仰を続けていました。隠れ衆の40戸の人々は1921年(大正10年)にこの貝津教会を建立し、隠れることなく信仰を続けることにしました。1931年(昭和6年)には一部改造、1962年(昭和37年)には大規模な増改築が行われ、その時に尖塔が増築されました。内部は平天井に方形窓の三廊式床となっており素朴な雰囲気を醸しています。西日に照らされたステンドグラスが美しい教会です。

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教会の正面には森と小川があり、この森の中に隠れ衆の8人が守り神を祀った石造りの祠があるという


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平天井および三廊式床と美しいステンドグラス


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