横浜外国人墓地 [35mmF1.4G]
横浜の山手にある横浜外国人墓地の歴史は日本の開国の歴史でもあります。1853年、黒船4隻を従えて開国を迫ったマシュー・カルブレイス・ペリー提督は、幕府の回答を得るために1854年に2度目の来日をします。このときに艦隊の水兵が不慮の事故で死亡したため、ペリーは幕府に米国人用墓地の提供を要求しました。これは開国を迫るペリーの巧妙な作戦の一つだったのかも知れません。幕府は渋々、横浜村にある増徳院の境内の一部を提供することにしました。これが横浜外国人墓地の始まりとなりました。この直後に日米和親条約が締結され、本格的な開国に至ったのです。
その後、日本で亡くなる外国人の数は増加の一途を辿り、埋葬記録は5000柱、墓石数は約3000に上りました。しかし、この極東の地に葬られたものの、遺族の墓参もなく無縁になってしまう方も増えてきてしまいました。従って、年々墓地の収入が減少して広大な墓地の維持管理が非常に厳しくなってきているそうです。そこで、この墓地を管理する財団では土日祭日に限り、募金のために墓地の一部を一般公開しています。スタッフはボランティアの方々が担当されています。今では運営費の90%をこの募金で賄っているということです。ボランティアの方々は非常に親切かつ丁寧に案内して下さり、探していたある方の墓石を無事みつけることができました。
なるほど、管理維持のための一般公開なのですね。
本来ならば、観光客に公開するような場所ではないと思っていたのですが、納得いたしました。
by Pin-BOKE (2011-09-24 18:50)
Pin-BOKEさん
公開は苦肉の策だとは思うのですが、運営費の90%を占めるとなると止める訳にはいかないのでしょうね。趣旨を理解し、謹んで見学をさせていただきました。
by ZZA700 (2011-09-25 08:28)